幕末屈指の人気絵師
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
歌川国芳といえば、猫、そしてユーモアではないでしょうか。
見るものを驚かせ、楽しませることにかけては、トップクラスの浮世絵師だと思います。
歌川国芳について調べてみました。
歌川国芳の性格を九星気学で占ってみると?
■歌川国芳(5-1-9)
歌川国芳は、寛政9年11月15日(1798年1月1日)生まれ。
本命星:五黄土星
月命星:一白水星
傾斜宮:九紫火星
歌川国芳は、本命星の五黄土星と月命星の一白水星とは、土剋水(土は水を堰き止める)という相剋の関係です。
五黄土星は、九星のなかで最も強い帝王の星ですから、とても意欲的であり、物欲も旺盛です。
一白水星は、心のうちは明らかにしませんが、表面的には誰とでもおだやかに付き合える星であり、企画力や創造力に長けた星でもあります。
九紫火星は、明るく社交的であり、感覚的な星です。
この九紫火星から五黄土星にエネルギーが流れているため、直感的な行動を優先させることが多いタイプです。
一白水星はよく考えて計画し、創造するので、パパっとひらめく九紫火星の良いところを活かせないと、この星回りの人は、考えをまとめて行動に移すまでにかなり時間がかかってしまうといえます。
気性は激しく、激しやすいと言えます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【五黄土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
歌川国芳の運気を九星気学でみてみると?
■1827年 『通俗水滸伝豪傑百八人』
1827年は二黒土星中宮年で、五黄土星は北東にあり、変化変動の暗示があります。
五黄土星の定位には二黒土星が回座し、勤勉・受け身の暗示があります。
歌川国芳は、この頃発表した『通俗水滸伝豪傑百八人』という『水滸伝』のシリーズが評判となり、“武者絵の国芳”と称されるようになります。
■1842年 天保の改革
1842年は五黄土星中宮年で、花が咲くときです。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
歌川国芳は、水野忠邦による天保の改革によって、浮世絵や役者絵が打撃を受けるなか、1843年に風刺のきいた『源頼光公館土蜘作妖怪図』を制作します。
■1844年 葛飾北斎と出会う
1844年は三碧木星中宮年で、五黄土星は西にあり、収獲のときです。
五黄土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
歌川国芳は、葛飾北斎門人の大塚道菴の紹介により葛飾北斎と出会います。
■1848年 『宮本武蔵と巨鯨』
1848年は八白土星中宮年で、五黄土星は南西にあり、後厄です。
五黄土星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
歌川国芳は、『宮本武蔵と巨鯨』の制作をはじめます。
浮世絵3枚分に描かれたまるで大スペクタル絵画によって、歌川国芳の名前はさらに高まります。
■1853年 『九紋龍史進憤怒の図』
1853年は三碧木星中宮年で、五黄土星は西にあり、収獲のときです。
五黄土星の定位には三碧木星に回座し、開拓・奮起の暗示があります。
歌川国芳は、梅屋鶴寿主催の書画会において、30畳敷きの大紙に『九紋龍史進憤怒の図』を描きます。
■1865年 死去
1865年は九紫火星中宮年で、五黄土星は北にあり、本厄です。
五黄土星の定位には九紫火星が回座し、「離」の作用が働く暗示があります。
「離」の作用とは、別離や転居など、離れるということ。
歌川国芳は、65歳の生涯を閉じました。
歌川国芳を宿曜占星術で占ってみると?
■歌川国芳【鬼宿】
宿曜占星術では、歌川国芳は鬼宿の生まれです。
鬼宿は、奇想天外な発想と、意表をつく行動に出ることも多い本命宿です。
鬼宿さんは、空想力が豊かで好奇心が旺盛で、何事においても人より先んじることを好みます。
異能と呼べるような資質を備えた人が多く、後世に偉業を残します。
また、鬼宿さんは財運があり、勝負運が強いので、一発あたって巨額の富を手に入れる人もいます。
鬼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「鬼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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