浮世絵にあこがれた画家
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
絵画に興味のない人でも、ゴッホの名前をご存知ではないでしょうか。
フィンセント・ファン・ゴッホはオランダ人、ひまわりを描いた作品が有名です。
フィンセント・ファン・ゴッホについて調べてみました。
フィンセント・ファン・ゴッホを九星気学で占ってみると?
■フィンセント・ファン・ゴッホ(3-4-4)
フィンセント・ファン・ゴッホは、1853年3月30日生まれ。
本命星:三碧木星
月命星:四緑木星
傾斜宮:四緑木星
フィンセント・ファン・ゴッホは、本命星の三碧木星、月命星の四緑木星、傾斜宮の四緑木星のすべてが、木の性に属している木星の人です。
三碧木星は雷であり、音であり、言語能力の高さを示しています。
また、開拓精神に富んでおり、だれよりも早く取り掛かりたいという気持ちが強いため、自己中心的なところがあり、空回りすることも。
四緑木星は風であり、人々の間を吹き抜け、ニュースを届けたり、遠方との縁を築いたり、コミュニケーション能力の高さを示しています。
相手の顔色を読む能力に優れているのです。
四緑木星は義理人情に厚く、人を信じやすいタイプですが、優柔不断なところもあり、つかみどころがありません。
この星回りは、四緑木星を2つも持っているため、コミュニケーション能力はずば抜けて優れていると思いますが、言葉で失敗しやすい傾向があります。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【三碧木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
フィンセント・ファン・ゴッホの運気を九星気学でみてみると
■1886年 パリ
1886年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり、後厄です。
三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
フィンセント・ファン・ゴッホは、弟のテオを頼って、パリに移ります。
■1887年 「タンギー爺さん」
1887年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位にもどって東にあり、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
フィンセント・ファン・ゴッホは、絵具を買っていたジュリアン・タンギーの肖像画を描き、背景の壁にいくつかの浮世絵を描いています。
■1888年 左耳を切り落とす
1888年は四緑木星中宮年で、三碧木星は東南にあり、運気は旺盛ですが、暗剣殺です。
三碧木星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
フィンセント・ファン・ゴッホは、南フランスのアルルに移り住み、ゴーギャンと共同生活をはじめます。
しかし、ゴーギャンとの共同生活は長く続かず、ゴーギャンが去った直後に、フィンセント・ファン・ゴッホは、自らの左耳を切り落とす事件を起こします。
■1890年 死去
1890年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときです。
三碧木星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
フィンセント・ファン・ゴッホは、『医師ガシェの肖像』『カラスのいる麦畑』などの作品を残しますが、拳銃によって自殺します。
フィンセント・ファン・ゴッホを宿曜占星術で占ってみると?
■フィンセント・ファン・ゴッホ【箕宿】
宿曜占星術では、フィンセント・ファン・ゴッホは箕宿の生まれです。
箕宿は、計算よりもカンが鋭い本命宿です。
一途に、なりふり構わず突進するのが、箕宿さんの特性です。
箕宿さんはアウトローなのですが、親分格なので、お山の大将になりやすい傾向があります。
また、行いにけじめがないというところがあり、度を越しやすいようです。
フィンセント・ファン・ゴッホが、ゴーギャン等画家に声をかけ、共同生活をしようとしたのは、箕宿さんのこんな資質によるものかもしれません。
箕宿さんは、なにごとも荒っぽく、早飲み込みで突進するため、周囲が感じるありがたみが半減してしまいます。
ゴーギャンが、ゴッホとの共同生活を2ヶ月ほどでやめてしまったのは、箕宿さんの突進力のためかもしれませんね。
ちなみに、ゴーギャンは翼宿なので、 フィンセント・ファン・ゴッホとは「栄・親」の関係です。
相性は良かったはずなのですが、フィンセント・ファン・ゴッホは、口うるさいタイプでもあるので、嫌になったのでしょうか。
箕宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「箕宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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