多くの戦国大名との交流があった山科言継(やましなときつぐ)
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
山科言継は、歴史好きの間では、日記『言継卿記』で知られているのではないでしょうか。
また、山科言継は、窮乏していた天皇のために、武家から献金を集めて回ったという人物です。
山科言継について調べてみました。
山科言継を九星気学で占ってみると?
■山科言継(2-7-9)
山科言継は、永正4年4月26日(1507年6月6日)生まれ。
本命星:二黒土星
月命星:七赤金星
傾斜宮:九紫火星
山科言継は、本命星の二黒土星から、月命星の七赤金星にエネルギーが流れる相生の関係です。
また本命星の二黒土星には、傾斜宮の九紫火星からエネルギーが流れる相生の関係です。
二黒土星は耕された土であり、まじめで勤勉、受け身タイプが多い星です。
七赤金星は精錬された金属であり、お金を意味しています。
また、七赤金星には批判力が備わっており、言語能力が高い性質をもっており、斜めからモノをみて批判する力があります。
九紫火星は感覚的、芸術センスが高いのですが、移り気です。
行動に対して隠れた性格がエネルギーを与えていることからみて、理性よりも本能的な行動が優先される傾向が見られます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【二黒土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
山科言継の運気を九星気学でみてみると
■1533年 織田信秀を訪問し家臣団に和歌や蹴鞠を伝授
1533年は八白土星中宮年で、二黒土星は北東にあり変化変動、そして暗剣殺です。
二黒土星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
また、定位対冲のため、運命の歯車が大きく動くとき。
二黒土星にとっては最悪の運気なのですが、このタイミングで、大きな人生の転機を迎える人も多いときです。
山科言継は、織田信秀を訪問して、信秀や家臣団に和歌や蹴鞠を伝授します。
このときの知遇から、後に天皇の即位式に対して、織田信秀から献金を獲得します。
■1548年 足利義輝が山科郷を押領
1548年は二黒土星中宮年で、花が咲くときです。
二黒土星の定位には八白土星が回座し、変化変動です。
足利義輝によって、山科言継の家領である山科郷が押領され、前関白・近衛稙家の計らいで取り消されます。
この2年後には、朝廷から幕府に対して、山科家領の年貢納入の阻止を禁じる女房奉書が発給されているので、足利義輝に押領されたことが結果的に良かったということになります。
■1556年 今川義元親子を訪ね献金の確約を得る
1556年は三碧木星中宮年で、二黒土星は東南にあり、運気は旺盛です。
二黒土星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目をあつめる暗示があります。
山科言継は、義理の叔母にあたる寿桂尼と今川義元の親子を訪ね、献金の確約を得ます。
■1566年 禁裏御料所回復に成功
1566年は二黒土星中宮年で、花が咲くときです。
二黒土星の定位には八白土星が回座し、変化変動のときです。
山科言継は、結城氏重臣の水谷正村に働きかけて禁裏御料所(直轄地)の回復に成功します。
その御礼として、水谷正村を、従五位下・伊勢守への任官を推挙します。
■1569年 権大納言に昇進
1569年は八白土星中宮年で、二黒土星は北東にあり変化変動、そして暗剣殺です。
二黒土星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
また、定位対冲のため、運命の歯車が大きく動くとき。
山科言継は、山科家では初めて権大納言に昇進します。
織田信長との交渉役となり、織田信長も二条城築城視察の帰りに山科邸を訪問しています。
■1579年 死去
1579は七赤金星中宮年で、二黒土星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、なにかと目立つときであり、「離」の作用を受けるときです。
「離」とは、文字通り、離れることであり、別離や転居の意味があります。
二黒土星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
山科言継は、亡くなりますが、書き残した日記によって、その名を残したといえます。
■1915年 従一位を贈位される
1915年は四緑木星中宮年で、二黒土星は東に出て、運気は上昇に転じます。
二黒土星には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
山科言継は、死後300年以上もたってから、朝廷の財政改善と朝廷の存続に尽くしたとして、従一位を贈位されます。
山科言継を宿曜占星術で占ってみると?
■山科言継【亢宿】
宿曜占星術では、山科言継は亢宿の生まれです。
亢宿は、仲間をよく説得し、統括する本命宿です。
亢宿さんは、不正や悪を嫌い、公平で公正なものを求め、自分に厳しく、正直で正義の人です。
亢宿さんは清廉潔白、頑固一徹なので、世渡りがうまいわけではありません。
それでも、山科言継が、朝廷と武家とをとりもつことができたのは、亢宿さんがお金には縁があるからでしょう。
亢宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「亢宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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