
「松下村塾」
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
吉田松陰は、幕末から明治にかけて活躍した多くの人物に、多大なる影響を与えた人物として知られています。
しかし、その影響力と実行力から、伝馬町牢屋敷で、29歳で死刑となります。
吉田松陰について調べてみました。
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吉田松陰を九星気学でみると?
■吉田松陰(8-4-9)
吉田松陰は、1830年9月20日生まれ。
本命星:八白土星
月命星:四緑木星
傾斜宮:九紫火星
吉田松陰は、月命星の四緑木星から、傾斜宮の九紫火星、本命星の八白土星へとエネルギーが流れる相生の関係です。
しかし、本命星の八白土星に対して、月命星の四緑木星が木剋土(木は土をしめつけ栄養を奪う)という相剋の関係です。
理性で考えたことは行動を制限してしまいますが、本音で納得していることは行動を応援していると言い換えることができます。
こういう場合、理性で考えただけで行動せず、本心から納得してから行動すると良い場合が多いのです。
もし迷いや悩みがあるとすれば、納得して行動していないからでしょう。
八白土星は、積み上げた土であり、山です。
自尊心が高く、自分が信じることだけに忠実です。
社交家タイプではないため、人間関係では苦労することも。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【八白土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
吉田松陰の運気を九星気学でみると?
■1852年 脱藩
1852年は四緑木星中宮年で、八白土星は南にあり前厄、歳破がついています。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
また、「離」の作用が働くときでもあり、吉田松陰が、宮部鼎蔵らとの東北旅行出発日の約束を守るために。脱藩したというのもうなづけます。
さらに八白土星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大とよろこびの暗示があります。
吉田松陰は、この旅で、水戸、会津、秋田、津軽、米沢などを訪ねています。
しかし、江戸にもどると、士籍剥奪・世禄没収の処分を受けます。
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■1857年 松下村塾
1857年は八白土星中宮年で、花が咲くときです。
八白土星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
吉田松陰は、叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、松下村塾を開塾します。
弟子の長所を見抜き、本人に伝え育てるのが、吉田松陰の教育の特徴だとされています。
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■1859年11月21日 死刑

1859年11月21日に、吉田松陰は、死刑に処せられます。
この日の九星盤をみると、年盤の八白土星は西にあり、結果・収穫のときなのですが、「離」の作用が働く暗示があります。
月盤では変化変動のときを示していて、日盤では遠方の暗示がでています。
この九星盤をみると、吉田松陰は、29歳で亡くなる運命だったのかも、と感じます。
早逝の運命だったとしても、その思想は、多くの人に受け継がれました。
そういう役割を天から与えられていたのではないでしょうか。
吉田松陰を宿曜占星術でみると?
■吉田松陰【房宿】
宿曜占星術では、吉田松陰は房宿の生まれです。
房宿は、財運があり、蔵の番人と呼ばれて、古来より富貴の本命宿と考えられています。
房宿さんは、大衆の気持ちをつかむ直観力があり、カリスマ的な存在として影響力を持つことがあります。
しかし、おしゃべりが好きなので、言わなくても良い批判や悪口に走りやすいというのも房宿さんの資質です。
吉田松陰は、月曜生まれの房宿さんなので、善良で、文句は言いませんが、イライラがたまりやすい人のようです。
また、行き当たりばったりの考えで行動しがちです。
房宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「房宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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